年末は、少し贅沢に映画三昧の一日を過ごしました。
賛否両論(?)あると聞いていた『果てしなきスカーレット』と『tokyoタクシー』を、まさかの二本立て。

しかも、どちらも「死」を真正面から扱う作品で、観終えたあとに胸の奥が静かに重くなるような作品でした。
二本を連続で観たからこそ、よりそう感じたのかもしれません。
「人は人生の最後を、どのように迎えるのか」
死は誰にとっても避けられない結末のはずなのに、その迎え方は驚くほど人によって違う。

そこには、その人が何を信じ、何を大切にして生きてきたのか。
そして同時に、人生の最後という場面は残酷なほど正直です。
これまで積み重ねてきた考え方や、自分を支えてきたはずの理屈が、いとも簡単に揺らいでしまうことがある。
信念が強いほど折れない、という単純な話ではなく、むしろ強く握りしめてきたものがある人ほど、手放す瞬間の痛みも大きい。
そんなことを感じさせられました。
僧侶として日々「いのち」や「別れ」に向き合っているつもりでも、映画という形で改めて見せられると、理解したつもりでも切ない思いになりました。
結局、自分は何をもって生きてきたのか。
誰と、どんな時間を重ね、何を残そうとしているのか。
来年もきっと、立ち止まって考えることが多い一年になる気がします。
「人とのつながりとは何だろう」「人生の価値とは何だろう」
答えを急ぐより、問いを丁寧に持ち続けること自体が大切なのかもしれません。
悩み多き僧侶ではありますが、その悩みごと、誰かの歩みに寄り添える一年にしていきたいと思います。
本年もありがとうございました。来年も、どうぞよろしくお願いいたします。
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